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TAKARAZUKA1000days劇場講座
--姿月あさとと思い出をめぐる考察--

 十三日、東京・有楽町のTAKARAZUKA1000days劇場が、その名称通り、約1000日の上演期間を終了した。

 当日は、ラスト公演を担当して、前日に千秋楽を終えた宙組全員を含め、五組のトップ・コンビと専科スター十人が集合して、サヨナラ・イベント「アデュー TAKARAZUKA1000days劇場」が、昼夜二回、にぎにぎしく行われた。

 来年元日にオープンする東京宝塚劇場(日比谷)ができるまでの仮設劇場ではあったが、東京通年公演の拠点として、宝塚ファンには、さまざまな感慨を残してくれた。

 まず、劇場名がステキだった。年配者は初め、「千日劇場」と読んでいたが、「1000days」という響きは、宝塚の宿命的な美学である「無常感」を無意識に象徴しているようで、わたしは好きだった。

 どれほど愛しても、どんな方策をとろうとも、ひいきスターとの別れが必ず来ることを承知していながら、その日をのろいつつ通うファン心理の優しい美しさ。歌劇自体が持つ美学とファンが備えている美学のホットな交流こそ、宝塚八十六年の歴史を支えているのである。

 さて、1000days劇場。できたてのころはみな、文句ばかりいっていた。イスが硬い。音響が悪い。仮設建築の弊害で、外部の騒音が入り込む。大雨の日など、雨脚が屋根を打つ音に驚かされたこともある。

 が、意外な効果(?)もあった。

 平成十年五月のオープン公演が「WEST SIDE STORY」で、若者たちが路上で決闘するシーンの時、偶然、劇場の外を走るパトカーや救急車のサイレンの音が聞こえてくることがあった。妙な臨場感を覚えたものだ。

 十三日の夜の部、開演前のロビーでは、仮設開場したころと天地の会話が聞こえてきた。

 「硬いイスも今、思えば懐かしいし、赤いザブトンもかわいかった」「わたしは、赤いきれいな屋根を忘れません」「駅から近いのが、なによりよかった」。

 思い出は、怒りも懐かしい喜びに変えてしまう。

 門出と別れもあった。記憶として最大のものは、宙組の初代トップスター、姿月あさとがこの劇場で生まれ、この劇場だけで去っていったことだろう。多分、姿月ファンは一生、1000days劇場を忘れることはないだろう。

001218産経新聞東京夕刊




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