宝塚にあって、その基本精神である「清く正しく美しく」の枠スレスレの作品を発表し続けている演出家がいる。
石田昌也だ。
芝居でもショーでも、ドキッとしたり、あれれっと爆笑したりするシーンを必ず挿入する。行儀がいい芝居作りをしない。
評価は真っ二つになる。
星組で「誠の群像」という新撰組隊士たちの話を上演したとき、男同士のラブシーン場面を登場させた。それを見た戦前からの宝塚ファンの知人が、わたしに掛けてきた電話口で、「宝塚は死んだ!」と叫び、泣き出したことがある。
が、最近の石田作品には、かつての毒性が感じられず、中途半端で不満を感じていたが、現在、宝塚大劇場(兵庫県宝塚市)で上演中の雪組「猛き黄金の国」(四月二日まで)では、「夢々しさの対極の芝居作りを目指す」と石田が言っていたので、さっそく見に行った。
びっくりした。石田復活を確認して歓喜した。
わたしは別に非宝塚的な作品を待望しているのではない。ただ「ベルサイユのばら」の裏側にも、過激でおおらかな気分になる娯楽作もある。そんな芝居作りにこだわる石田を支持したいのだ。
「猛き−」は、三菱財閥を築いた岩崎彌太郎の生涯を描いた作品で、原作が本宮ひろ志のマンガだけに、夢とはったりで大きく膨らんだ風船玉が青空にプカプカ浮かんでいるような、ゆったりした明るさにあふれている。金もうけが大好きで女性にも目がない幕末の傑物の生き方がパワフルだ。そこを脂っぽくなく、純情で一本気な男として描いているところが、石田宝塚なのだ。
轟悠の彌太郎が、いい。骨太な男性像を作らせて一番だし、「英雄色を好む」のHな所作万端には笑ってしまう。
月影瞳の女房も適役。轟=彌太郎が、総上げした芸者を十重二十重にはべらせ、その中央にどっかとあぐらをかいて酒を飲んでいる幕開きシーンなんて、痛快ですらある。人物配置やセットの豪華さにもびっくりで、まさにこれも宝塚。
あぶないセリフやシーンも連続する。
かつて「殉情」でお墓でのラブシーンを、「銀ちゃんの恋」では、舞台上で本物のスキヤキを食べさせた石田だ。イエローカードの常連だが、現代を生きる宝塚の格好の刺激剤になっている。
010312産経新聞東京夕刊