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上月晃講座
--ゴンちゃんの根性をめぐる考察--

 ゴンちゃんの愛称で親しまれた、元宝塚のトップスターで女優の上月晃(こうづき・のぼる)さんの訃報(ふほう)には驚かされた。

 四月に日生劇場(東京・日比谷)で再演されるミュージカル「42nd street」の出演を病気療養のため、とりやめると聞いたのが一月で、そのときは文字通り、病後の大事をとっての休養だとばかり思っていた。

 じつは、ゴンちゃん、大腸がんに侵されていて、三度の手術を受けていた。

 最期をみとった宝塚時代の一期後輩、姫由美子さんによると、ゴンちゃんはがんであることを承知していながら、必ず治ってまた、舞台に立つのだと信じていたという。テレビのインタビューにこたえていた姫さんが「彼女(上月)はきっと、自分が亡くなるとは知らないで眠るようなつもりで逝(い)ってしまった気がする」と話していた言葉が印象的だった。負けず嫌いで意志強固な性格の人だった。

 ゴンちゃんの育ての親ともいうべき演出家で宝塚歌劇団名誉理事の内海重典さんが一日に亡くなり、十七日に兵庫県西宮市の斎場で劇団葬が営まれたが、その席で、ゴンちゃんは病気で参列できずさぞ、残念がっているだろうね、と知り合いの演出家と話題にしたばかりだった。ゴンちゃんからは長文の弔電が届いていた。内海さんは、宝塚に入団して二年目の新人時代のゴンちゃんを主役に抜てきした人。弔電にはそのときの感謝の言葉がめんめんと語られていた。

 スター性を見込んで主役を与えたものの、本読みでセリフを読んだら、出身の熊本弁丸だし。「あしたのけいこまでに標準語に直らなかったら役を取り消す」と、思わずいってしまった内海さん。しかし翌日、ゴンちゃんはきちんとした言葉でセリフを読んだ。「徹夜して覚えてきたんだろう。根性のある子で、きっとスターになると確信した」と、内海さんは述懐していた。

 宝塚以後も、女優として大成したゴンちゃん。「宝塚はわたしの第二のふるさと」といい続けていた。はからずも、内海さんを追うように旅立ってしまった。いまごろは、あの世で再会して、思いっきりの熊本弁で話しかけているかもしれない。もう、内海さんも、しかりはしないだろう。

990329産経新聞東京夕刊




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