惜しくもアカデミー助演女優賞は逃したが、女優、菊地凛子を一躍有名にした映画「バベル」(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督)。ブラッド・ピットにガエル・ガルシア・ベルナルら“イケメン”の実力派や、オスカー女優のケイト・ブランシェットが出演しているなど豪華キャストも話題だが、もちん作品自体がすばらしい。
風が吹けばおけ屋がもうかる、ではないが、1発の銃弾をきっかけに、物語は倒れるドミノのように3大陸をまたいで連鎖、展開する。銃弾に関わる人物が次々と浮上し、問題解決へ収れんするという筋書きではない。モロッコ、米国、日本、メキシコ。各地でそれぞれ並行して進む悲しい物語の、いずれもが銃弾に導かれて始まるという構成。
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<<モロッコの山岳地帯。少年、ユセフ(ブブケ・アイド・エル・カイド)が放った銃弾は、夫婦のきずなを取り戻すために訪れていた米国人旅行者の妻、スーザン(ケイト・ブランシェット)に命中してしまう。米国が国際テロと報じるなかで、モロッコ警察は銃の出所を特定する。所有者は日本人の会社員、ヤスジロー(役所広司)。そのころ、乳母に託されたスーザンの子供たちはメキシコで生死の境をさまよっていた>>
登場人物たちは、さまざまな問題を抱えて生きている。ユセフの家族はヤギの放牧で生計を立てている。思春期の少年の日常が、父が与えた拳銃で一変する。米国人夫婦は3人目の子供の突然死で溝が深まっていた。冷え切った関係を修復しようと訪れたモロッコで事故に巻き込まれる。ヤスジローは、妻の自殺でふさぎこむ、耳の聞こえない娘、チエコ(菊地凛子)を孤独から救えずに苦悶している。
「バベル」という題名は、旧約聖書で人間の高慢さの象徴として描かれる「バベルの塔」に由来する。神は、天にまで届く塔を築こうとした人間の愚かさに怒り、言葉を混乱させて意思の疎通を奪い、人間を世界各地に分散させてしまう。
イニャリトゥ監督は、この作品を「映画人生のなかで最大の挑戦」と位置づける。「人を幸せにするものは国によって違う。しかし、惨めにするものは文化や人種、言語、貧富を超えて共通する。それは、愛し、愛される能力の欠落だ」。バベルの逸話になぞらえて、人間の心の対話を主題とした。
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モロッコの兄弟、米国人夫妻、日本の父娘は、神の怒りにふれ、世界各地に散らされた人間たちであり、彼らが抱える嫉妬や不信、孤独とはすなわち、旧約聖書における「言葉の喪失」なのだ。
しかし、それがたとえ神の仕業だとしても、胸がつまるほどの苦痛を登場人物たちは味わう。
圧倒的な演技力を見せつけるのはケイト・ブランシェットだろう。肩に被弾し、モロッコの村で応急手当てを受けながらも、夫、リチャードのこれまで裏切りや、現在の恐怖を表情だけで伝えてくる。ケイトは撮影後「心身共に限界まで追い詰められた」と語っている。
一方、この作品からは2人の女優がアカデミー賞助演女優賞の候補に選ばれた。菊地とメキシコ人の女優、アドリアナ・バラッザだ。
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アドリアナは、リチャード夫妻の自宅に住み込む乳母、アメリアを演じる。アメリアは、ある事件をきっかけに夫妻の子供2人とともに米・メキシコ国境沿いの砂漠に放り出される。見渡す限りの荒涼とした大地。アメリアは恐慌に陥る。
イニャリトゥ監督は、人間の無力を世界各地を舞台に知らしめるわけだ。
メキシコ生まれの監督は祖国を去り、米国に拠点を置いている。
「人と人との間に立ちふさがる誤解や境界を突き破ることができるのは、“映画”という言語だ」と主張する。
言葉の違いや国境は亀裂ではない。亀裂は、人の心の怠慢にある。これは現在の世界のありようにも通じるのだ。