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S・スタローン来日会見詳報
ロッキーという名の人生
   by 久保亮子
ロッキー・バルボアが帰ってきた−−。30年前、無名の俳優が3日間で書き上げた脚本は、彼自身を主役にして映画化。同年のアカデミー賞を受賞した。映画「ロッキー」。それ以降、シリーズ作は5本を数え、主演を演じ続けるシルベスター・スタローン(60)は主人公のロッキーと重なるようにスターダムを駆け上がった。

シルベスター・スタローン

しかし、今回の会見でスタローンは「『ロッキー5』(1990)は失敗作だった」と告白。「年老いたが、夢を追い求める姿を示したかった」と挑んだのが、事実上の最終章となるこの「ロッキー・ザ・ファイナル」なのだ。

「物語でも私生活でも『夢を追うな』と言われた。年をとると人生は易くはならず、より困難なものになると実感している。利口になり、経験も増えるが、社会からは“のけ者”扱い。実世界のひとりとして闘い続けたかった。バカだと思われてもいい。人生を悲しいものにしたくはなかった。情熱はいくつになっても変わらない」

会見の幕開けはこんな重たい言葉で始まったのだった。

だれもが17年前の「ロッキー5」でシリーズは完結したと思ったはずだ。

「私にとってもさまざまな出来事があった。人気の浮き沈みや、子供の問題。波打つ人生のなかで年をとるということの意味を知った」

シルベスター・スタローン

まるでロッキーの復活をロッキー自身が語っているような錯覚に陥る。

75年、29歳だったスタローンはモハメド・アリの試合に感動し、「ロッキー」の脚本を書き上げた。80年代に入ってからは、ベトナム帰還兵、ジョン・ランボーの苦渋とその後を描いたアクションシリーズ「ランボー」でも成功を収める。身分や世代、人種を超えて描かれる普遍的な人間愛はスタローンの持ち味といっていい。

「ロッキー・ザ・ファイナル」の冒頭、シリーズの名場面が流れる。愛妻、エイドリアンとの場面はあまりにも懐かしく涙を誘う。「日々の出来事はその日に置き去られるわけではない。観客にも思い出をかき起こしてほしかった」と、この場面について説明した。

リングを去ったロッキーは地元フィラデルフィアで小さなイタリア料理店「エイドリアンズ」を営んでいる。息子のロバートは“有名人の子供”であることを嫌い、家を飛び出していた。唯一、心が許せるのはエイドリアンの兄で親友のポーリーだけ。チャンピオン時代の逸話を客に語り聞かせる日々に空虚感がつのり、ロッキーは再びボクシングを始める決意をする。

「リングの上はロッキーにとって人生のシンボル。闘い続けることで人生の質を高めているのです。自伝的要素も強く、1作目より10倍も難しかった。ハリウッドの同世代に観てもらいたい。人間のシンプルな気持ちで、自分を証明したかった」

引退をにおわせるかのような決意がにじむ。過酷なトレーニングにも耐えた。スクリーンでは対戦相手となる現役ヘビー級チャンピオンの体つきよりもはるかにたくましい。スピードや柔軟性といった若さの武器は求められないだけに「意志と頭脳を鍛えた」という。

試合の場面は「私以外はすべて本物」。ラスベガスで撮影されたが、対戦相手をはじめレフリー、9000人の観客すべてがリアルな対戦のために集結したという。

終始、同世代へのエールのように語ったスタローン。会見を締めくくったのは「人生をシンプルに語っている。若者に観てもらいたい」という言葉だった。

「世界各地を周って宣伝してきた。日本が最後の場所で、ロッキーのたどり着いた最終地。明日はジャングルのなかです(タイで「ランボー4」の撮影を行う)」

最初の「ロッキー」で、ロッキーが夢をつかむために出発した米フィラデルフィア美術館の大階段。それはまさにスタローン自身の人生の“ステップ”でもあった。

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