パリジェンヌと猫と
ハンドバッグ
東芝EMI
TOCP-67198
¥2,548
9月25日(木) カミーユ*Long Interview(2)
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−−16歳のとき、親類の結婚式でうたった際、人前でうたう喜び知り、それがきっかけとなって歌手になったとか

そうです。あれが私にとっての“初舞台”でした。あれで私の人生は変わってしまったのです。歌うことは、幸せ。喜び。楽しみ。歌を聴いてくれている人々の表情を見たときに、はっきりと感じました。うたっているときがいちばん気持ちよい。ふつうの生活なんて居心地が悪い。子供のころからダンスを習っていて、舞台をみにいったりすると、あそこ(舞台)にあがりたい−−という衝動があった。それがはっきりとした形になったのが、16歳のあのときだった。

−−なにをうたったの?

父親が作ったゴスペルソングです。フランス語と英語がまじった。父は趣味で歌をたくさん作っているんですよ。私の家庭には音楽や詩というものがあふれていました。昔、たとえばお祭りでじょうずに歌う人っていたものです。そう、昔はお祭りで歌うだけの人が。いまは歌をたくさんうたう人とは、すなわちうたうことを職業にしている人だということになっています。ならば、私は歌手になろう。そう考えました。また、私は芸術を探求するのが好きで、だからいまの私がいるのです。
フランス・パリ14区で生まれ、パリ郊外イヴリーヌ県育った。25歳。現在はパリの下町に住む。16歳のときに親族の結婚式で歌う機会を得て、歌を通して自己表現をする喜びを知り、歌手になろうと決意する。高校卒業後はフランスの最高学府の1つ、パリ政治学院に進学。在学中に作成したデモ・テープがアンリ・サルヴァドールやエールの所属するSOURCEレーベルのプロデューサーの目に留まり、デビュー・アルバム「パリジェンヌと猫とハンドバッグ」を作るに至る。製作する。このCDづくりはパリ政治学院の卒業単位に認められ、2002年夏に修了証書を手にしている。

−−作詞作曲はいつから?

ちょうど、その結婚式の招待客の中に何人かの音楽関係者がいて、彼らから専門知識を教わりました。ちょっとめんどうな部分もありましたが、「ここを通り抜けないとだめだ」と考え、やり抜きました。初めて歌詞を意識した詩を書いたのは17歳のときでした。

−−音楽の勉強をしつつ大学に? パリ政治学院というのは、エリート養成機関というか超一流校のようですが

高校生のころから勉強は怠らなかったので続けたかった。私、勉強はすごく好き! それで進学し、大学生のときにはもう、レコード会社からお誘いを受けていたんですよ。あのころは「ライブは控えてデモテープを作るように」といわれていたので、当時の音楽活動といえば、もっぱらテープづくりでした。

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