第12場 家康の処罰 忠輝が戦場を放棄したことは、 さっそく秀忠の耳に入り、厳しい処罰を求めるが、 家康はこれを制し、10年間の勘当という処罰を言い渡す。 政争から忠輝を遠ざけるには、 ほかに手だてがないとの考えからだ。 主水正を呼んだ家康は、 織田信長から伝わる名笛「野風の笛」を 形見として忠輝に渡すよう伝える。 本来将軍を継ぐ者に渡すべき 野風の笛を、家康は忠輝に与えたのだ。