ホリー・コールはカナダ出身のジャズ歌手。映画「バグダッド・カフェ」の主題歌「コーリング・ユー」を取り上げたアルバム「コーリング・ユー」(1992年)が日本ゴールドディスク大賞のジャズアルバム部門と洋楽新人部門を獲得したこともある。
あの「コーリング・ユー」はほんとうに素晴らしかった。僕は産経新聞の音楽担当記者だった98年、彼女の来日公演を紹介した際、次のように書いていた。
何よりも声が魅力だ。力強いのだが、どこか寂しげで。淑女になったり、あばずれになったり。1987年に交通事故であごの骨を砕き、医師から歌手として活動するのは不可能だと宣告されたが、死にものぐるいの発声練習で克服した。きっと、魅力的な声はその結果、生まれたのだろうが、ご本人に尋ねたら「酒で鍛えたのよ」と笑っていた。初日の開幕前にワインを一本空け、ステージ後も痛飲、この日は二日酔い状態だった。酒豪ぶりは本当。
これはたぶん終演後の楽屋か廊下で聞いた話だったと記憶しているけれど、話の内容より背の高い女性だったことばかりを覚えている。言葉は悪いが「でかいなあ」が第一印象だ。そして、英語なのに、その口調がなんだか江戸っ子のべらんめえ調に聞こえたこと。
そんなコールの新作。随分久しぶりじゃないかな? と思って添付の解説を読むと、産経新聞がかかわって開催した斑尾ジャズフェスティバルの際にお世話になった評論家の中川ヨウさんが「3年半ぶり」と書いている。
モノトーンの装丁写真もいい感じだし、期待に胸をふくらませて聴いたら、正直いってちょっと肩すかしを食らったというのが、この作品に対する個人的な第一印象かな。
それは僕にとってのコールは、ピアノを中心にした四重奏団を従えてうたうという印象が色濃いせいだと思っている。「コーリング・ユー」はまさにそういう編成だったし、引用したような彼女の声質にもっと合致するのが、その編成だと、勝手に考えている。
今回は比較的大きい編成の楽団を従えて、伴奏の主楽器が管であったりアコーディオンであったりと曲によって変わる。豪華といえば豪華なのだけど、僕の中でのコール像とは食い違う。
中川さんの解説によれば、「コーリング・ユー」をプロデュースしたグレッグ・コーエンが今回は大型編成の楽団とやってみようと提案したらしい。
「コーリング・ユー」での魅力的なダークなイメージは健在だけど、編曲も手がけているピアニストのギル・ゴールドスタインが、どことなくノスタルジックな雰囲気を持ち込んだことで、楽団編成がふだんと違うこと以上の独特の世界観を作り出すことになっているのかもしれない。
コールのもつ世界観はノスタルジックとは無縁だった、とこれまた僕は勝手に思っている。ジャズスタイルだけど、もっとポップスよりの感触ももち、そこが「コーリング・ユー」では理想的に結実したとすれば、いってみれば180度違うことをやってみせたわけだ。
そう考えれば、これは、彼女が自分の殻を壊して新しいことに取り組む意欲に満ちていることを示す作品だといえる。
ふだん行動を共にしているピアニスト、アーロン・デイビスのピアノだけを従えた「ビー・ケアフル、イッツ・マイ・ハート」のような世界観のほうが僕にはなじみがあるけれど、今回ばかりはそうではない録音のもののほうこそを聴くべきだろう。
表題の「シャレード」は、ヘンリー・マンシーニによる有名な曲だが、よく知られた旋律をコールは疾走するテンポで歌いきる。アントニオ・カルロス・ジョビンの「三月の水」は、原曲の軽やかな雰囲気を完全に払拭してずしりとした三拍子にアレンジ。それでいてケヴィン・ブライトのエレキギターが不可思議な浮遊感を漂わせる。
また、「イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー」は、ほかの演奏家もしばしば急速調のテンポで仕上げるが、ここでのコールはテンポが早いだけではなく、その伴奏にギターやアコーディオンを忍ばせることで、気がつかないところで独特のいわくいいがたい雰囲気を醸し出してみせる。
声の魅力で雰囲気を楽しみたい人よりも、ジャズの、そういう変化のおもしろさを知っている人向けの作品、かもしれない。(ENAK編集長)
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