||遊びから歌の世界へ
もともとうたいたいと願っていたわけでは、なかった。遊びから歌の世界に入ったのだという。

本人の弁を借りれば、都内の公園で友人のギターを伴奏に、酔い覚ましでうたっていた。いや、飲みながらうたっていた。
早世した男性ソウル歌手、ダニー・ハザウェイの歌だったというから、なかなか渋い。
「ウシガエルが鳴いていた」というから、梅雨から夏にかけてだったのか。
そんな歌声がおもしろいねと、知人から知人に話が広がってクラブのイベントに出た。公園でうたっていたのは2曲。急きょあと3曲覚えて体裁をつくろった。
つくろいにほころびが出るどころか、その歌声は大好評だった。
「『うめー』って客席から声がかかってうれしかったですね」
「こっちでもうたって」と引っ張りだこになったが、「遊び半分だったし歌手になりたいわけでもなかったから」と歌の世界からは離れて「服飾関係の仕事」に就いた。
その間、なんと6年。だが、次第にうたいたい気持ちが頭をもたげてくる。幸い、「またうたわないの」という声をかけられ続けていた。
「どこで気持ちが切り替わったかは、はっきりしません。ただ他人がうたっているのを見て、くやしいというか、そういう気持ちの積み重ねの結果でしょうか。じょじょにうたいたいんだということを確認しました」
そうして仲間をみつけて結成したのがショーロ・アズーだった。