花組 愛華みれ サヨナラメッセージ

 01/11/11 WebOnly
 Text By TAKUBO,Oko/田窪桜子@東京文化部
 Photo by MAEKAWA,Junichiro/前川純一郎

サヨナラショーが終わると花組組長の夏美ようが舞台で、愛華のメッセージを読み上げた。メッセージは以下の通り。

私が初めて宝塚を見たのは中学校1年生のとき、全国ツアーで「風と共に去りぬ」が鹿児島に来たときのことでした。母が姉と私に学校を早退させて、2時間かけて市内まで見に連れていってくれました。

しかし、日ごろの疲れと2時間の長旅のせいかすっかり眠ってしまい、スカーレットの階段落ちで目が覚めました。母にはしかられるし、見られなかったショックで言葉にならない罪を感じ、悲しい思い出でした。

ある日、母が夕飯をつくりながら、「入ったらいいのにねえ」と宝塚の名前を口にしたのです。純朴な私は本気にしてしまいました。母はジョークで言ったのに。そして、弟の音楽の先生が「今は原石でも、磨けば宝石かもしれないよ」と言ってくださった言葉に勇気づけられ受験に踏み切りました。

1985年、「愛あれば命は永遠に」で初舞台を踏みました。ラインダンスの振付では、喜多先生のあまりの厳しさに、不安になりましたが、厳しさの中にもあったかい愛を感じてだんだん楽しくなりました。

稔、真琴とも並んで踊って、いい思い出です。その後、花組に配属、研一の終わりのころバウ公演「散る花よ、風の囁きを聞け」で藤波純次郎という大きな役をいただき、だれよりも自分が一番びっくりしながらも、無我夢中で演じました。この役をくださった谷先生の勇気に感謝しています。このことがなければ、私も世に出ていなかったでしょう。

その後、谷先生の作品にはご縁があり、「秋…冬への前奏曲」「エデンの東」「SPEAK EASY」などさまざまな役できたえていただきました。

そして何よりも春日野八千代先生の舞いに合わせて、歌い、ご一緒に舞台に立つことができたこと、宝塚の素晴らしさをまじかで教えていただき、けいこ場では先生の大きなオーラに涙したこともありました。

三井住友VISAのイメージキャラクターに選んでいただけたことも、幸せであり、宝塚の生活をバックアップしていただき、みなさまに育てていただきました。

思い出の役、好きだった役は、どの役も捨て難く、選ぶことができません。退団を決めたのは「あさきゆめみし」という作品に出合うことができたからです。ハイビジョンの映画も撮ることができて、プレッシャーが大きい分、その倍の幸せで、これで辞めてもいいと思えました。でも、ルードヴィヒもやりたくてやってしまいましたが…。

最初が谷先生なら最後もと、「ミケランジェロ」に決めました。三木先生ともバウ公演、またトップ披露公演「夜明けの序曲」でご一緒させていただき、ご縁がありましたので、私にとって幸せなめぐりあわせでした。

花組で初舞台を踏み、ずっと花組で育ち卒業する、生粋の花組っ子の私です。田舎娘の私がいろんなことを見たり聞いたり出合えたり、宝塚で本当にいろんなことを教えていただきました。愛が大切なこと、いろいろな愛のあり方も、これが一番教わったことかもしれません。

私もめいっぱいの愛を残したい。いま、ミケランジェロの心と重なり、私自身もそう思い続けている毎日です。宝塚をつくるのは宝塚を愛する生徒とファンのみなさまのお力です。私もずっとずっと宝塚を愛し続けます。

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