||手本はマイルス
ここで、失礼を承知で意地悪な質問をマシューズにしてみた。本当は、日本人との仕事がお金になるから引き受けたのではないのか?

「報酬の多さが大事な問題であることを否定はしない。30年ほど前、円が強くなったとき『日本での仕事はオイシイ』と米国ではよくいわれたものだ。しかし、当時そういう意識だけで仕事をしていた連中はは、今では消えてしまった。私はわけへだてなく仕事をする。だから、まだ音楽の世界で生き残っていられるのだろう。どんな仕事でも自分の名前は残るのだから、途中で投げ出せないし、報酬目当てだけで携わるわけにもいかない」
今回バカラックの歌を集める企画は平賀が立てたのだが、実はマシューズとバカラックの縁も浅からぬものがあった。
マシューズが編曲家として世に出るきっかけがソウルの帝王ジェームス・ブラウンに提供したバカラックナンバーの編曲だったし、その後本人から編曲の依頼もあったという。
マシューズはバカラックとの仕事を思い出しては笑う。
「彼の自宅で楽曲を聴きながらご本人の意見を聞いたのだけど、彼は『ここのオーボエは残そう』『ここも残そう』…と言って、結局もとの編曲と大差ないものになった。原曲に対するものすごいこだわりがあるみたいだ」
そんなわけで、この平賀とのアルバムにはバカラック本人との仕事の経験は何も反映されていない。
「あくまでMJQと歌手とが共演するジャズアルバム。その意味でむしろマイルス・デイビスのアルバム『ソーサラー』を参考にした」
「ソーサラー」にはマイルスが1962年に歌手のボブ・ドローと共演した「ナッシング・ライク・ユー」という曲が収録されている。
「ギル・エバンスの編曲がたまらなくカッコよくてね。カッコいいジャズバンドが歌手と共演したいちばんカッコいい例が、あれだ」
これを聞いて平賀はニッコリ。「私はラッキーだわ!」