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「愛燃える」新人公演の壮一帆 |
兵庫県川西市出身。「阪急沿線に住んでいたので、宝塚歌劇は常に生活の中にあったし、舞台を見てもいましたけれど、全く興味はなかった」という。
それがどうして宝塚に?
「全くのヒラメキ。将来どうしようか、と悩んでいた時期にフッと思いついて。私は一人っ子で本質的に欲のない受け身体質。自分からこうしたいと両親に言ったのは初めてだったんですが、受験を決めてから三日三晩、宝塚の夢を見続けました」
それが中学の終わりごろ。中1から夢中になっていた剣道の部活動に加えて、ミュージカル教室にも約3年間通い、高校卒業時に宝塚音楽学校を受験。見事に一発合格した。
「入ってみて、自分の無謀さを思い知りました。ピアノとマリンバを3歳からやっていたので譜面は読めましたが、ほかは何もできない。とにかく授業についていかなきゃ、と必死でしたね」
平成8年の「CAN−CAN」で初舞台を踏み、花組に配属される。初めて大きな役がついたのは11年の「タンゴ・アルゼンチーノ」の新人公演で、幕開きで1人で歌った。12年「源氏物語あさきゆめみし」の新公では頭の中将という大役だった。
「本番で階段につまずいたり、かぶりものを間違えたり。悔しくって泣いちゃった。本番の集中力が大切と痛感しました」
同年は独ベルリン公演の選抜メンバーにも選ばれて海外公演初参加。本公演のショーなどでも若手男役スターとして期待が大きくなった13年に、雪組に組替えになる。
「単純に生まれ育った組を離れることがショックでした。でも、雪組ではあたたかく迎えてくださって、ホッとしましたね」
その直後の大劇場「愛燃える」の新公で、いきなり主役の呉王・夫差に抜擢(ばってき)され、初主演を果たす。
2007年の壮一帆の記事
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組替え直後に新人公演で初主演:タカラジェンヌ夢の軌跡