「お呼びでない?。お呼びでないね!。こらまた失礼致しました」。植木等が放ったスーパーギャグの一つだ。
このギャグが生まれたきっかけは、付き人をしていた俳優、小松政夫(65)から出演時間を間違えて教えられ、テレビカメラの前に登場してしまった植木がとっさに口をした言葉だったというのが通説になっている。
だが、小松は「出演時間を間違えるなんてことはありえないし、間違えた記憶もない」ときっぱりと否定する。
「あれはオヤジ(植木)が私を売り出すために、私の名前を印象付けようと、ありもしないことをおもしろおかしく話してくれたのだと思う」
♪ちょいと一杯のつもりで飲んで/いつの間にやらはしご酒(中略)わかっちゃいるけどやめられない♪(「スーダラ節」、萩原哲晶作曲、青島幸男作詞)
伝説を築いた記念碑ともいえる名曲だ。だが、歌とは美しいメロディーで人の心を打つものだと信じていた植木は、「大人が歌う歌ではない。こんな歌がヒットしたら日本はおしまいだ」と、いい顔をしなかった。気乗りしないままレコーディングへ向かう。
ところが前奏が始まると、持ち前のサービス精神を発揮した。コミカルな歌声とステップに、録音現場は爆笑の渦に包まれたという。
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クレージー・キャッツの元メンバー、谷啓(75)が語る。
「演じていない植木等に戻ったときは、礼節を重んじ、家族を大切にし、食事は質素、魚の食べ方が上手で、相撲が好きで、時代劇が好きで、そんな普通の男でした。相反する2人の植木等、2人の自分との葛藤(かっとう)に苦しんだ時期もあった。でも、ぼくから見たら、植木やんは植木やん」
スーダラ節も無責任も植木の好みではなかった。それでも仕事になると、あの調子のいい明るさ、ボルテージの高さを維持し続けた。そこには「無責任男」とは正反対の彼の人柄、思いやりと責任感が見て取れる。
人気テレビ番組「シャボン玉ホリデー」の放送作家だったはかま満緒(69)も言う。
「生き方を見ていると、非常に仏教的。面倒見が良く、慈愛に満ちた人だった」
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「むしゃくしゃしても、あんな役をやったら欲求不満になることはないだろうなんていわれますけど、やはり仕事ですからそう気楽にはいきませんや。ぼくのストレス解消法ですか? ウチに帰ることです」
昭和38年6月、当時36歳だった植木は読売新聞のインタビューにこう答えている。
実生活では昭和22年、登美子夫人と結婚し、1男3女をもうけた。プライベートと仕事をきっちりと分け、家族がマスコミの取材を受けることもなかったが、38年1月発行の「週刊平凡」が唯一、家庭での植木の素顔を伝えている。
映画、ドラマに引っ張りだこで家に帰ることが少なくなった父親を、子供たちが「テレビで会うことの方が多くなった。お父さんじゃなくて、おじさんみたいだ」と話していたことを妻から聞くと、さみしそうな顔で「そんなことを言われているのか」とつぶやく。
しつけには厳しかった。妻、登美子は「いいかげんなことが一番きらいです。子供にもいつもウソをつくなということと、責任をもつこと、を言い聞かせています」と話している。
人気絶頂期だった父のバラエティー番組を見て育った三女、裕子(43)は高校卒業後、ヨーロッパに渡り、いまもバレリーナとして活躍している。
「『好きなことをやってもいいが半端になるな』というのが口癖。私にとってはよき理解者で辛口評論家です」。63年の帰国時の公演では、「父」をそう語っている。
植木は娘の公演には足しげく通ったが、マスコミから感想を聞かれても「娘は娘」として一切、コメントはしなかった。植木は一人の父親として、子供たちの生き方を尊重し、温かく見守り続けた。(敬称略)