タカラジェンヌ 夢の軌跡 星組 涼紫央
(2)新公卒業後は役柄を通して勉強
大阪夕刊 by 平松澄子
「プラハの春」の新人公演(平成14年)は自身の初主演に加えて、最上級生の長(入団7年目)として下級生たちをまとめる役割も担った。「初舞台生もいたので、あとで考えると大変だったけれど、そのときはそんなものだとピンときていなかった。楽しい気持ちのほうが強かったですね」。次の「ガラスの風景」(同年)の新公も主人公のジョーイを好演。この主演2回で新公を卒業する。
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「それでも船は行く」のジョニー・ケイス役 |
当時の星組トップ、
香寿たつきには大きな刺激を受けたという。「組替えでタータンさん(香寿の愛称)が星組に来られて、『花の業平』(13年)で悪役の藤原基経役を演じられたとき、あまりのお上手さに凍りついて一瞬にしてあこがれました。その基経役を東京の新公で私がやらせていただいて、すっごくうれしかった。雲の上の存在の方ですけれど、新公で何度も同じ役をできたし、間近で勉強させていただきました」
宝塚バウホールの初主演はワークショップ公演「恋天狗」(15年)の弥太役。初めてのコメディーチックな役で、「本来の自分はこっちの方だと思いましたね」。宝塚大劇場では同年の大作「王家に捧ぐ歌」でテロリストのサウフェ役、「1914/愛」(16年)の画家ハイム・スーチン役、「花舞う長安」(同年)の李補国将軍役…とさまざまな役を的確に演じた。
「この時期は役柄を通していろいろ考えることが多くなりました。なかでもスーチン役は久々に実在の人物。彼の絵がどうしても見たくなって、舞台が終わったあとパリへ行ったんです。勢いのある彼の絵に絵筆の毛までついているのを見て、感動していとおしかったですね」
17年2月にはバウ「それでも船は行く」で本格的に初主演。育ちのいい御曹司ジョニー・ケイス役で、宝塚の伝統的な男役の姿を体現した。「一から自分の役を作っていく過程や、主役を毎日続けられることがうれしかったです」。同年5月の大劇場「長崎しぐれ坂」では一転して、尾張無宿らっこ役を五分刈り頭姿で演じたのには、驚かされた。
2007年の涼紫央の記事
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病を克服して立った初舞台:タカラジェンヌ 夢の軌跡(1)
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新公卒業後は役柄を通して勉強:タカラジェンヌ 夢の軌跡(2)
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“ベルばら”がターニングポイント:タカラジェンヌ 夢の軌跡(3)
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