ようこそ劇場へ
東京宝塚劇場支配人 小川甲子さんインタビュー(5)

 01/12/14 産経新聞東京夕刊
 Text By TAKUBO,Oko/田窪桜子@東京文化部


今年1月に開場して間もなく1年を迎えようとしている東京宝塚劇場。笑顔で観客を迎えてくれる背筋のすーっと伸びた女性が同劇場初の女性支配人、小川甲子さんだ。かつて宝塚歌劇団のトップスター・甲にしきとして活躍。さらに女優を経て、萬屋錦之介さんの妻になり引退と、いくつもの人生を歩んできた小川さんが、次の人生のステージに選んだのがこの劇場だった

[5]宝塚って本当にあったかい

−−当時のスターシステムはどうなっていたのですか

当時は星空ひかるさんがいて、次に麻鳥千穂さん、近衛真理さん、その次が私だったんです。けれども、『落日の砂丘』ではトップの娘役さんと私が組ませていただきましたし、『洛陽に花散れど』は、星空さんと私。いろいろでしたね。

宝塚歌劇団は昨年6月新しい専科制度を導入、各組にはトップスターのみとなった。現在の本公演は、そのトップが必ず主役を務める。小川さんは昭和45年11月、花組のトップスターとなった

−−スターになると周囲の見方が変わりますよね

そういうのは全然関係なかったですね。それに今のように、インターネットもなかったし、みなさん、温かく見守ってくれていたのじゃないかしら。演出の先生も歌が苦手な私に「しようがないなあ」って。「甲ちゃん、今度の歌は3度しかないから大丈夫だよ」なんて、もともとある曲なんですが、3音だけでできている主題歌もありましたよ。

−−当時と今のトップスターに違いはありますか

今のほうが“スターさん”という感じはあるかな。私はトップだからというのではなくて、のんびりしてたから、楽屋入りも遅くて出るのも一番後。楽屋のおばちゃんが「甲ちゃん、掃除するからそろそろお風呂入ろう」と言われるまで楽屋でぼーっとしていました。そうこうしているうちに、劇場の表で待っている人も少なくなっていましたからね(笑い)。

−−思い出の作品は?

やはり『この恋は雲の涯まで』(昭和48年)かな。この作品で辞めるはずだったのですが、翌年が創立60周年だからと、もう一作増えたんです。辞表もね、実はもっと早く出してたんですけど、理事長が「どっかにやってしまってあらへんのや。悪いけどもう1回書き直してくれへんか」って。私は一月退団だったのですけど、「2月にしといていいわ。2月分の給料も払うから」。退団後すぐに阪急電鉄提供のドラマに出たのですが、そのお祝いまでいて、娘を嫁に出すような温かさを感じました。

−−退団を決めたのは?

退団時期は決めるより感じるものですね。宝塚は惜しまれて辞めるのが花ですから。退団が新聞に出たとき、私は旅行に行っていて何も言わなかったけれど、外の仕事しようと思って辞めたわけではなかったんです。いろいろなことを、十分させてもらいましたから。

−−満足していた?

「甲にしき」を育ててもらったし、本当にみんな優しかった。友達も良かったしね。今ここで支配人の仕事ができるのもその時があったから。宝塚って本当にあったかいと思いますよ。



昭和46年『シシリーの夕陽』(菅沼潤作)に主演した甲にしき時代の小川さん



[1]意外と合っている支配人
[2]小さいころからスター
[3]「ほんと、歌では苦労しました」
[4]舞台の後にテレビ撮影
[5]宝塚って本当にあったかい
[6]どこまでも奥深い「芸の世界」
[7]家が大好きな夫・錦之介
[8]夢生む良さは変わらない
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