今年1月に開場して間もなく1年を迎えようとしている東京宝塚劇場。笑顔で観客を迎えてくれる背筋のすーっと伸びた女性が同劇場初の女性支配人、小川甲子さんだ。かつて宝塚歌劇団のトップスター・甲にしきとして活躍。さらに女優を経て、萬屋錦之介さんの妻になり引退と、いくつもの人生を歩んできた小川さんが、次の人生のステージに選んだのがこの劇場だった
[6]どこまでも奥深い「芸の世界」
−−退団後の仕事は
退団するとき、当時の東宝の松岡辰郎社長に相談に行ったんです。「辞めようと思うのですが」とお話ししたら、「あんたはミュージカルをせんように。日本物でいきなさい。そのほうが息の長い女優になれる」とおっしゃった。私は歌が下手ですからねえ(笑い)。辞めてすぐに亡くなられたのがとても残念でした。
−−普通はミュージカルに出演される方が多いですよね
ミュージカルをやりませんかという話もあったんです。でも、松岡社長の遺言のような言葉がありましたから。松岡社長は辞める前にも尾上松緑先生と一席もうけてくださって、「この子を一人前の女優にしてやってくれ」と頼んでくださった。それもあって、いろいろな舞台に出していただきました。
−−ダンスのほうは
もう疲れすぎてたのね。出すぎじゃないかというぐらい踊っていたから。もっとスタイルが良ければ、アメリカにミュージカルの勉強に行っていたかもしれませんけどね。
昭和49年1月『花のお嬢吉三/カルナバル・ド・タカラヅカ』で退団。その後すぐテレビドラマ『たすきと包丁』に出演。舞台では長谷川一夫や尾上松緑らと共演した
−−長谷川さん、松緑さん、ともに大先生ですね。
日本物の女のしっとりした色気なんてすぐには出せませんから、いろいろ教えていただきました。最初はね「宝塚の子だからしようがないなあ」と許してくださるの。宝塚出身ということは、そういう面でも得していましたね。
−−どういう教え方ですか
長谷川先生は、着物の着方から全部、丁寧に自分でやりながら教えてくださる。松緑先生は「言ってわかる人やったら、何も言わなくてもそれぐらいのことは感じる。自分で学びなさい」というタイプ。でもね、「ちょっとこのせりふ言ってみてください」ってお願いして、テープにいれていただいたりしました。サヨナラ公演の義経のお化粧も、松緑先生にしていただいたんですよ。
−−三木のり平さんも、ご一緒していらっしゃいますね
のり平先生は何でも言えて、何でも教えてくださる。ご自分でやってみせてくれるのですが、本当にすばらしいんですよ。劇場に泊まっていらっしゃったから、終演後は楽屋で飲みながら「あそこはこうしたほうがいいよ」と。楽しくいい勉強をさせていただきました。
−−女優としてやっていけるなと思ったのはいつごろ
女優を辞めるまでそんなの全く思わないですよ。芸の世界は、これでいいっていうことがない。どこまでいっても奥の深いものですからね。
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[1]意外と合っている支配人
[2]小さいころからスター
[3]「ほんと、歌では苦労しました」
[4]舞台の後にテレビ撮影
[5]宝塚って本当にあったかい
[6]どこまでも奥深い「芸の世界」
[7]家が大好きな夫・錦之介
[8]夢生む良さは変わらない
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