神様からひと言 荻原浩 光文社文庫 720円(税込み)

予備知識なしに読み始めたのだけどおもしろかった。それに懐かしかった。それがうれしかった。
一流広告代理店を辞めた佐倉涼平が再就職したのは個人商店から出発した食品会社。入社早々のしくじりで異動を命じられた先は「お客様相談室」。実は、リストラ要員ばかりを集めた部署だった。ひとくせもふたくせもある同僚たちとお客からのクレームに対処するうちに、涼平はあることに気づく…。
青春小説で、成長小説で、サラリーマン小説で、そして恋愛小説で。そういう多層的なところが大きな魅力だ。
そして成長小説やサラリーマン小説であるところに、僕はとても懐かしさを覚える。30年くらい前はそういう小説がたくさんあったからだ。中間小説。純文学と大衆小説の中間に位置する小説を昔はそう読んだものだ。たとえば曾野綾子の「太郎物語」や「海抜0メートル」なんかで、学生のころの僕はそういう作品を繰り返し読んでは、数年先の自分の将来がどんなものになるのかなんてことを考えたりしたものだった。
リストラ要員の集まりである相談室の面々にクセがあり、その中にひとりにグータラながらも「謝罪」に関して素晴らしい才能をもつ先輩がいるという設定。彼らがトラブルを胸のすくやり方で解決してみせる場面などは都合が良すぎると思う読者もいるだろうが、サラリーマンとはなんなのかという問いかけが前後にちりばめられてズッシリと重みをもつことで漫画的に過ぎないような均衡を保っている。このへんの塩梅のうまさが、この作家ならではなのだろう。
いろいろあって最終的には恋愛小説として収れんしていくのもまた、この作家のうまさか。中間小説の風味を懐かしんでいる僕などはどうでもいいような気がしないでもないが、この要素がなければ現代の小説たることはできない。
多層的なこの小説の「神様からひと言」という題名もまた、2重の意味をもつ。ひとつは舞台となる食品会社の社訓が「お客さまの声は、神様のひと言」だから。もうひとつは…。
というわけで僕は映画になった「明日の記憶」か、あるいはユーモア小説「ハードボイルド・エッグ」か…と、この作家の世界をさらに歩いてみたくなっている。(井)
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