姿月あさと インタビュー
(7)ある日突然「あ、辞めよう」
5月28日(月)大阪夕刊
by 飯塚友子
−−トップの期間は2年と長くはなかったですね
姿月あさと いっつもトップだった期間が短いって言われるんだけれども、自分の中の宝塚人生っていうのは14年間あったわけで、トップだった2年間だけではないというのと、トップ2作目でミュージカル「エリザベート」の公演があって、急に「やーめよ」って思って。
−−またすぐそんなことを言い出して(笑)。歌劇団、さぞ困ったと思いますよ
姿月 その時もそんな気で朝、出かけた訳じゃないんですよ、全然。急にふっと朝、誰に相談する訳じゃなくて、劇団に行ったら毎日通っているところにたまたま植田(紳爾・現宝塚歌劇団理事)先生がみえて、急に「あっ(辞めよう)」と思って、ドアをコンコンとして部屋に入っていって「辞めたいです」と言って。
−−うわー、植田先生どうされてました
姿月 いや、またそれから呼び出されて…。
−−そりゃそうでしょう。やっとこさ新組立ち上げて、トップになったと思ったら困った人(笑)。また「思い直せ」ってお話しでしょう
姿月 いや、聞く耳持たない(笑)。というのもあの作品で、すごく音楽に興味を持ち出して、音楽の勉強をしたいなっていう意識が出てきたんだと思います。前から歌は好きでしたけれども、もっと専門的な、音楽に対する意識がすごく変わったのが、エリザベートっていう作品で、私もふっとわいてきたものがあったんだと思います。
−−最初から最後まで本当に名曲揃いの作品ですから、触発されたんでしょうね
姿月 新たな勉強への興味です。
−−退団まではその後、2作ありましたが、歌劇団は引き留めたでしょうね
姿月 やっぱり辞めるにも、普通のOLさんでも何カ月前に言わなくてはならないというのと同じです。次の公演といっても劇団の中でいろんなサイクルがあるじゃないですか。自分1人が「じゃあ明日(辞めます)」という問題じゃないから、すごく先をみて言ったというのはありますよ。
−−退団の会見で、「全く悔いはない」と振り返ってましたね。その上で今後の活動について「歌を中心に」とおっしゃったのは、エリザベートから持ち続けた思いがあったんですね
姿月 うん。
−−サントリーホールでの公演という目標は、そのころからですか
姿月 サントリーホールで、というのは例えば野球選手だったら、メジャーリーグのあそこでやって、みたいな考えと例えて言うと同じなんですよね。退団の時は、明確な目標はなかったけれども、色々な音楽の知識っていうものを学びたいなあと思って。宝塚で勉強になったこと、いっぱいありますよ。でもお芝居もしなきゃいけない、踊りもしなきゃいけない、歌もしなきゃいけない、というときに、全部がある意味、中途半端なんです。そこで集中的に、専門的にいろんなことを知りたいという思いがわいたんですね。
−−確かに退団されてから今までの活動をみると、「歌を中心に」というベクトルは変わってないですね
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■記事関連情報
しづき・あさと 昭和45年、大阪市生まれ。市立淀川中学卒業後、宝塚音楽学校に入学。65年ぶりに誕生した新組「宙組」トップスターとしてミュージカル「エリザベート」などに主演。平成12年退団後、ヴォーカリストとしてフル・オーケストラと競演するなど幅広く活躍。
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